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巡礼の旅 - 北の道

巡礼の旅 - 北の道

2018年10月21日

今年もスペイン巡礼の旅に行ってきました。今回は3週間と短いので行けるところまで、と特に目的地は決めませんでした。2年前は一番よく知られている「フランス人の道」だったのですが、今年は大西洋側のフランスとの国境にあるイルンから始まる「北の道」(Camino de la Norte)です。イギリスからビルバオまで飛行機、そこからサンセバスチャンまでバスで行き、市内で一泊後、朝一番の電車で巡礼の起点になるイルンに到着です。駅を出て巡礼路のサインを探して歩きましたが、なつかしい黄色い矢印を見つけた時はほっとしました。歩き始めてすぐに巡礼宿(アルベルゲ)を見つけたので、そこで2年前のクレデンシャル(ご朱印帳に似たもの)にスタンプを押してもらいました。これが巡礼者の身分証明になります。

上の写真はサンセバスチャンです。国際映画祭も開かれる洗練されたきれいな町です。
バスク地方を通るカミーノは山が多くキツイと聞いていましたが、前回の巡礼路が意外に楽に歩けたので特に気にしていませんでした。背負うザックは8キロ、フランス人の道と違って巡礼者の数がずっと少ない道を意気揚々と歩き始めました。途中、二手に分かれている道はガイドブックのお勧めで山の上を通るハードな方を選び、カミーノ上から初めてみる大西洋の海岸線の美しさに目を見張りました。

歩くうちにスコットランドから来た家族3人と話を交わし始め、一緒に山を下ると小さな村に着きました。土曜日で人の賑わう中、バルでビールを飲んで一休み。村から海岸沿いに歩いて30分のところにフェリー乗り場があります。向こう岸までほんの5分。ところが、降りてすぐに直登の長い階段があり、登り始めたのですが、急に気分が悪くなり、背中のザックも重く感じられて動けなくなってしまいました。

ビールと暑さのせいもあったのでしょうか。こんなはずではと思いながら1時間も階段の脇に座り込んでいました。後から来た人たちが大丈夫、と声をかけて追い越していきます。やっと気分が治った時にはもう追い越す人もなく、私一人になっていました。

先を行く人たちはサンセバスチャンの町を目指して急いでいましたが、私は昨日泊まった時に町を見て歩いていたし、初日から26キロの起伏の多い道は無理とわかっていたので、町より4キロ手前の宿に泊まることに決めていました。
きれいに手入れをされた庭の奥の建物が今日の宿でした。

まったく知識がなかったのですが、応対してくれた人の説明によると宗教団体の持ち家で、巡礼者も受け入れているとのことでした。部屋に案内され、汗まみれで疲れ果ててもいたのでシャワーを浴びるとまさに生き返った気分です。その日の巡礼者は幸運にも私1人、広い部屋を1人で使えます。

団体の名前は「Twelve Tribes」。「12の部族」の意味ですが、聖書にある言葉からだそうです。アメリカが発祥で、ここでは何十人かの人達が共同生活をしていて、特に牧師さんのようなリーダーはいないとのこと。団体が運営しているビジネスの収益はすべてまとめて管理、個人的に必要があればその都度渡すとの説明でした、やはりアメリカに信者が多いそうですが、スペインにもこうしたコミューンが何ヶ所かあるとか。

 

この近くにもう一軒家があり、そこには主に女性達が、ここには巡礼者の他、男性が何人か暮らしています。部屋の説明をされた時、タンクトップと短いショーツで歩き回らないように注意されました。ここの女性達はみんな髪を伸ばし、飾りのないシンプルな服装です。夕食(とてもおいしかったです)はダイニングルームで全員集まって一緒にしたのですが、同席になった女性達との会話はとても興味深いものでした。

まさに、こういう生き方もあるのだ、と。何と共通言語はスペイン語ではなく英語だそうです。ちなみに宿泊代はDonativo(寄付)で、あなたの気持ち次第で、と言われ、私としては見合うかな、と30ユーロを置いてきたのですが、設定がない分むずかしいところです。その日以降も宿代が寄付のところが何ヶ所もありましたが、主に教会とか市が運営するベッド、トイレ、シャワー、洗い場(巡礼者は宿に着くととりあえずシャワーを浴びて洗濯をします)だけのシンプルな宿です。

翌日のコースもサンセバスチャンの街中以外はアップダウンが多く、まだ体が慣れていなかったせいもあり、陽ざしの強い中を歩くがとても辛く感じました。3日目、足の裏が痛い、と思ったら、両足裏に大きな水ぶくれが出来ていました。何十年も山を歩いてきましたが、こんなことは初めてです。幸い、その日の宿で同室になったバロセロナから来た女性が丁寧に処置をしてくれたので、翌日には痛みはありましたがなんとか歩けるようにはなりました。考えてみれば、2年前は始めの5日間はジョンが一緒で、水やガイドブック等の重いものは持ってくれたのです。 体が慣れてから1人で歩き始めたので、辛い思いをした記憶がなかったことが、今回のカミーノ歩きにあたり自分を過信していた、と反省しました。2年の歳を取ったことにも気づかされました。そんな訳で、始めの一週間は、楽しむよりもつらい思いが強くて、巡礼路に戻ってきたことを後悔し始めさえもしました。それでも、マメの痛みが引いた頃には徐々に心身共に余裕がでてきたようで、やっと歩くのが楽に、そして楽しめるようになったのです。歩いている間は絶対にビールを飲まないことも誓いました。

 

今回は韓国人には何組も会ったのに、日本人には最終日に宿で1人、それも挨拶をする位で会話をする機会もなく、日本人巡礼者との交流はまったくありませんでした。その分、いろいろな国の人たちと話す機会が増えたのですが、どういう訳か、最初の頃はスペイン語圏との人と一緒になることが多く、もう少しスペイン語を勉強するべきだった、とここでも反省です。

 

私のスペイン語は独学で、日本人が学校英語で海外旅行をするレベルなので、ちょっと混み入った会話になるともうお手上げです。そんなつたないスペイン語で、アルゼンチンから来た英語をまったく話さない50代の男性と一日一緒に歩くはめになりました。朝、宿を出発した時は4人だったのですが、英語を話す2人は会話が弾んでいたらしくどんどん先に行ってしまい、その男性と私が取り残された次第です。ブエノスアイレス近郊で学校の教師をしているというその男性も困ったと思いますが、いい人で、一緒に陽ざしの強い中、目的の宿を目指して歩いているうちに段々と仲間意識が出てくるのですね。

黄色い矢印をあっちだ、こっちだと探しながら、着いたと思った丘の上は教会で、宿はまだ先とわかり二人共ガックリ。教会の横の水道の水をおいしいねと、がぶ飲み、やっとたどり着いた宿でした。シャワーを浴びたあとに2人でビールで乾杯となりました。親しくなった3人はみんなビルバオまで。その後も、一週間、二週間と休暇を取って歩いている人も多く、出会ってもすぐに別れることが多く、寂しく感じたものです。

3週間と区切った巡礼の旅ですが、行けるところまで、と目的地を決めなかったせいか、どうも、モチベーションが低くなりがちでした。サンチャゴまで歩く巡礼者は、大きな町では観光に長めに時間を取る人もいますが、普段はわき目もふらず目的地を目指します。北の道は適当な距離間隔に巡礼宿があるとは限らないので、必然的に一日の歩行量も長くなることもあり、頑張って30km以上もこなしてしまいます。私は1週目の苦い経験もあり、今回は巡礼の旅そのものを楽しむ、と頭を切り替え無理はしないことに決めました。

歩くのに慣れると、急なアップダウンがなければ2時間、時にはそれ以上休憩なしで歩けるようになります。
ピカソのゲルニカで有名なゲルニカの町では丸々半日、バスク博物館やヘンリームーアの彫刻がある公園を訪れたりしました。現在は市民戦争中に悲惨な爆撃があったとはまったく想像できない穏やかな田舎町です。ある日は朝早く出発したものの、13キロ歩いて着いた海岸の明るい砂浜が気に入り、予定を変更、12時前だったにもかかわらず、その町に泊まることに決めました。幸い、宿はユースホステルですぐにチェックインができたので、残りの時間は町をぶらついたり、海岸に面したホステルの前の芝生でのんびりと過ごしました。他にも、ガウディが初期の頃にデザインした家を見学するために歩くのを早めに切り上げた日もあります。スローペースで歩く分、後から来る人たちにはどんどん追い越され、宿に着いてみると知らない顔ばかりということも再三ありました。

北の道を歩く巡礼者は、初めてという人は少なく、私のようにフランス人の道を歩いた後に来る人、毎年のように来る人と、カミーノ歩きに魅せられた(?)リピーターに大勢会いました。中には、韓国人で現在はカナダに住む40代の女性は、毎年二回、春と秋にスペインに来るそうで、しかも、歩くときは必ずサンチャゴまでの全行程を歩くという巡礼オタクのような人もいました。歩き慣れているせいかペースも早く、あっという間に追い越されてしまいました。

 

巡礼路の何がそれほど人を引き付けるのでしょうか。何十日もかけて歩くという行為は一般の人にはなかなかできないものだと思います。コッツウォルドにも「コッツウォルズウエイ」があります。アップダウンも少なく、道標もしっかりとついていて、誰にでも歩ける縦走路で、北から南まで全行程を歩くと約二週間かかります。でも巡礼の道を歩くのとは何かが違うのです。

セントジェームスの遺体(と信じられている)を安置してあるサンチャゴの大聖堂にお参りする目的で、1千年以上も前から巡礼者が歩いてきた道ですが、現在は、宗教上の目的で歩く人は少数派で、大多数(私も含む)は、巡礼路の話を聞いたり、本や映画を観て興味を持ち、やってみよう、という人たちだと思われます。それでも、繰り返し、戻ってくるというのは、何か独特の魅力があるのでしょう。私の印象ですが、身分証明であるクレデンシャル(宿で二ユーロで買える)さえあれば誰でも巡礼者になれます。巡礼宿もこの証明書があれば、安いところでは6ユーロから泊まれます。観光客としてではなく、世界中から来た人たちと交流し、スペインという国を味わえる絶好のふれあいの場なのだと思います。また、日常の生活から開放され、癒しの場としての受け皿にもなっているような気がします。

 

一人で歩いていると、やはり一人旅の女性と会うことが多くなりますが、話をしてみると、パートナーと別れた、という人がけっこういました。その人たちの話を聞いていると、別れたいきさつ、今かかえている問題などを意外なほどあっさりと打ち明けてくれます。同じ巡礼路を歩いている、というだけで。なんだか、二年前のブログにも似たようなことを書いたような気がします。

巡礼路にまた戻ってくる気持ちはあるか、と聞かれたら、別な路を歩いてみたい気はあるけど、体力、気力的に自分の年齢を考えると、先が見え始めた限られた時間、もっと別な国を歩いてみたい気持ちの方が少し強いかもしれません。
一人旅は食事、特に夕食時に1人でレストランに入りにくいデメリットがあり、かわりによくバルでピンチョス(タパスのようなもの)を2-3皿頼んで済ませました。主に普段イギリスでは食べられないシーフッドです。(中ほどにある写真がバル料理です)

最後に並んだ写真は、上から、ゲルニカの街中にあるピカソの作品のレプリカ。真ん中はガウディのデザインした家下の巨大なネコ像はビルバオのグッゲンハイム現代アート美術館の前にあります。