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Enjoy a day out in the English Countryside
チェルトナム暮らし25年を振り返って
今年、2024年は私たちが4年間の東京暮らしを引き上げてイギリスに戻ってから25年目になります。1999年の春、イギリスに戻ってまず車を買い、家探しの旅に出かけました。4カ月間あちこちに行きましたがなかなか予算と条件に合う家が見つからないまま、昔、私が語学学校に通っていたチェルトナムに寄った時に出会ったのが現在の家です。売買契約が済むまで、とりあえず借りていた市内のアパートからこの家に移ったのは11月に入ってからでした。世の中がミレニアムを前に賑わっていた時に、家具を揃え、家のリフォームをして迎えた2000年の一月からB&Bとホームスタデイの営業を開始しました。一月早々、知り合いの女性が子供連れで英語のレッスンに来ることが決まっていたからです。その後、知り合い、友人のつてでポツポツと来るようになったお客さんを受け入れていた頃は、まさか25年も続くとは考えてもみませんでしたが、過ぎてしまえばアッという間に思えます。
チェルトナムの街も随分と変りました。昔からの建物は内装を変えながらそのまま残っているので、日本の街並みのようにまったく様変わりをするわけではないのですが、私たちが引っ越してきた時にはまだ残っていた周辺の空き地はすべて新しくできた大きなウエイトローズというスーパーと分譲住宅に取って代わられました。近所に市が所有する長く放置されたままの大きな建物二つあったのですが、最近になってどちらも建て替えられて、ピカピカの高級マンションになりました。当時、10万人に満たなかった市の人口も今は12万人に迫っています。元々、宅地開発に厳しいイギリスでは住宅不足は慢性的にあったのですが、移民を含めた人口増加で、郊外でも住宅用に開発された地域が段々と増えていきました。学校の跡地や大きな会社が郊外に移転すると、みんな分譲住宅に変身します。この変化もチェルトナムが栄えているからこそでしょう。
人口の増加にもかかわらず、町の中心地、タウンセンターは日本の地方の町と同様個人商店が随分と減りました。最近も昔からあったデパート、大きな雑貨スーパーが閉店して不便になりました。日本のショッピングモールのような施設はないのですが、郊外の道路沿いに広い駐車場付きのチェーン店やスーパーが続々とオープンするようになったのです。シニア世代には市から無料のバスのパスが支給されますが、バスでタウンセンターに行っても生活を支える店が郊外に移ったため、車を持たないお年寄にはますます不便になってきています。オンラインかアマゾンで必需品を注文するするのが普通になってきています。商店街の空いた店舗には飲食店が入ることが多いのですが、それも頻繁に入れ替わります。最近の日本食ブームのせいか、持ち帰り用の寿司店が二軒もオープンしたのですが、あまり繁盛しているとは思えません。日本の地方の商店街のようなシャッター通りにはならないとは思いますが、昼間タウンセンターで買い物をする人の数が減ってきているのは事実です。
平地が多いイギリスには日本のような過疎の村はありません。僻地と言われる地方でも車である程度走れば町に出られるからです。仕事は確かに都会の方が圧倒的に多いのですが、日本ほどビジネスが都会に集中していないので、地方でも通勤可能な範囲内で職場が見つかるようです。ただ、北海道の夕張のように、80年代以降に石炭の鉱山が閉鎖されてから町がさびれ、住民の半数以上が失業者という地域も存在します。日本では亡くなった親の家を家族が放置したままの空き家が増えて問題になっていますが、イギリスではあまり聞きません。都会から離れた田舎の村にある古い家でも買い手がいるのです。
縁があってチェルトナムに住み始めてから4半世紀。ビジネス目的で選んだ町と家ですが、今は自分たちの生活する場所となりました。住みやすい町ではありますが、欲を言えばもう少しロンドンに近ければいいな、と思うこともあります。時間が出来た分、ロンドンで観たい催し物がある時に特に感じます。電車の運賃が高いので、バス利用の人が多いのですが、昨今のロンドン周辺の交通事情はますます悪化して、最近は片道で3時間以上もかかるようになり。日帰りにはキツくなりました。チェルトナムも市が様々なフェスティバルを開催して市を活気づける努力をしているので、これからはローカルな催しに目を向けるべきなのでしょう。ただ日本に関するものがないのが残念です。