スペイン巡礼の旅

14 November 2016


camino & funeral 017.JPG10月21日に無事にスペイン巡礼の旅を終えてチェルトナムに帰ってきました。目的地、サンチャゴデコンポステーラまで800キロ弱を36日間で歩いた後、帰国日まで一週間近くあったので、その先のフェスティーラの海岸まで100キロ、合計900キロ近く歩いたことになります。ピレネー山脈のフランス側の町、サンジャンピエードポー(SJPP)が私の歩いた[フランス人の道]の起点です。聖地、サンチャゴデコンポステーラを目指すコースは、[北の道]はフランスとの国境の町イルンから、[ポルトガルの道]はリスボンといくつかありますが、[フランス人の道]が一番一般的で、巡礼路(カミーノ)を初めて歩く人のほとんどはこのコースを選ぶようです。
始めの4日間は一緒に歩くというジョンと共にSJPPに着いたのは9月8日の朝、電車の駅からまず巡礼者のためのオフィスに向かい、クレデンシャルと呼ぶ証明書を購入しました。これは巡礼者であることを証明するものです。巡礼宿に泊まるたびにスタンプをもらいます。四国巡礼のご朱印帖と同じようなものです。一緒に巡礼のシンボルである帆立貝も買いました。これをリュックにさげていると一目で巡礼者であることがわかります。
048.JPG初日はこの町からピレネーの山を越えてスペイン側に入るのですが、26キロの山越え、コース一番の難所です。6キロ先の山腹にあるオレソンの小屋に泊まり、翌日そこから歩くと比較的楽なのですが、私達が問い合わせた時にはその小屋も周辺の宿もすでに満室。初日はSJPPに泊まることにして、街中の巡礼宿にチェックインし、雨と風の中をオレソンまで往復し、翌朝タクシーでオレソンまで戻り、そこから歩き始めるという変則的な巡礼の旅の始まりでした。初日以後は好天気に恵まれ、ほとんど雨具を使わずに済んだのはとてもラッキーだったと思います。

050.JPG自宅で出る前に計ったリュックの重さは6キロ、最初の4日間は水もガイドブックもジョンが持ってくれたのですが、1人になってからは行動食も含めて7.5キロから8キロ位に増えたでしょうか。そのうち途中の宿で手にいれた小説も持ち歩くまでに慣れていきました。カミーノ旅を経験した人から、リュックはなるべく軽く、とのアドバイスもあったので、持ち物を選ぶのにかなり気を使いましたが、出会った人の中にはリュックが重くて、中身をかなり処分した、という人もいました。荷物を背負って歩いた経験がない巡礼者の中には、足を痛めたり、足裏の豆が潰れて苦しむ人も多く、歩き始めの頃はどうしてカミーノ上に薬屋さんが多いのか不思議でしたが、お客さんに巡礼者が多いため、と納得しました。重いリュックを背負って歩きたくない人、歩けない人のために、荷物をその日の目的地の宿まで運んでくれるサービスもあり、巡礼旅の間、毎日それを利用して、デイパックだけで歩いる人もよく見かけました。

062.JPG086.JPG千年以上も前から続いている巡礼者のためのカミーノです、道も、道標もしっかりしていて、道標を見落とさなければ迷うこともありません。(それでも見落として何回か迷ったこともありましたが)石の道標にホタテのマークと矢印がついたもの、黄色い矢印、大きな町に入ると歩道に帆立貝の形がはめ込んであったり、歩道の色が矢印に変わっていたりして巡礼の歴史を感じたものです。
巡礼の目的は人によってさまざまと思いますが、信仰のために歩いている人は少数派ではないか、というのが私の印象です。家族を亡くした人、日常の生活に行き詰った人、仕事を辞めて次の生活に入る前の時間を利用して、といろいろです。でも半数以上を占めていたのは仕事をリタイアした60代、70代の熟年層でした。全行程を歩くと40日はかかるので、時間にしばられないお年よりが多いのは、当然といえば当然なのですが。様々な国の人と出会いましたが、中でもアメリカ人、カナダ人、オーストラリア人が多かったのは、巡礼旅の情報がより多いからなのでしょうか。カミーノ関係の本、「The Way」 というアメリカ映画の影響も大きい、とあるアメリカ人が言っていました。ヨーロッパの人は地理的に近いせいか、休暇を利用して一度に2,3週間歩き、何回かに分けてサンチャゴまでという人もかなりいました。それと、話には聞いていたのですが、韓国人の巡礼者が多かったのも驚きでした。中年のご夫婦、若い人のグループ、13人の中学生を3人の先生が引率してサンチャゴまで歩くというグループも見かけました。巡礼宿の注意書きもスペイン語、フランス語、英語の他に韓国語が入っているのはそれだけ韓国からの巡礼者が多いことを示しています。日本人巡礼者はというと、 全行程で会った日本人は15,16人位だったと思います。一回だけちらっと会っただけの人、私とペースが似ていてほとんど最初から最後まで何度も「また会ったね」と繰り返した人が5,6人。ジョンがイギリスに戻った後は原則1人だったのですが、行き掛り上(?)で2人の単独の日本人女性と何日か行動を一緒にしたこともあります。またその後も、単独で来てカミーノ上で一緒に歩くようになったというカナダ人、フランス人の3人のグループと何日か一緒に歩いたこともあります。でも1人で自分のペースで歩くのが一番、というのが結論です。巡礼旅の魅力の一つに、人との出会いがありますが、中には他の人と接触せず1人黙々と歩いている巡礼者もいました。言葉の壁があるせいか、どうしても同国人同士が固まりがちになるのは仕方がないのかも知れません。109.JPG

073.JPG普通一日に歩く距離は20キロから25キロです。ガイドブックに出ているコースをチェックして巡礼宿がある村や町の中からその日の目的地を決めます。巡礼宿(アルベルゲ)には公共と民営があり、公共の方は一泊、5-6ユーロ、大きな部屋に二段ベッドがずらりと並んだ伝統的な巡礼者用の宿ですが予約はできません。民営は10-12ユーロで、比較的小さく、ベッドの数も一部屋に少なめ、シャワーなどもこぎれいで、こちらは予約可能です。私は携帯もiPhone も持たないアナログ旅だったせいもありますが、できる限り公共の宿に泊まるようにしていました。「巡礼宿」らしさがよりはっきりとしていたためです。僧院、元学校を改造した教室のような部屋、中には料金の代わりに Donativo{寄付)の箱を置いてある宿もありました。スペイン人の責任者の他にアメリカ人のカップルがボランテアとして手伝っていたユニークなところで、夕食の準備には泊まった人も手伝うことになっていて、私は56人分のサラダ作りに参加しました。たらいのよう大きなな入れ物にどんどん切った野菜をいれ、最後に大きなツナ缶(なぜかスペインのミックスサラダには必ずツナが入ります)を開け、ドレッシングで味付けして両手で混ぜ合わせたのは忘れられない思い出です。若い男性はイタリア人だからと人数分のスパゲティを茹でるのを頼まれて大奮闘していました。

105.JPG巡礼宿で朝晩の食事を出すところもありますが、ない場合は宿のキッチンで自炊、または外食になります。朝食は近くのカフェでカフェオレ(スペイン語で カフェコンレーチェ)と簡単なパンの類で済ませます。周囲にカフェがない場合でも何キロか歩くと必ずといっていいほどカフェがあるので、朝は巡礼客で賑わいます。私は宿を出る前に、ヨーグルト、バナナなどを食べ、大体2時間ほど歩いてからカフェに入り、コーヒーとトーテリア(スペインオムレツ)を頼んだものです。 歩くのに慣れてくると、朝、宿を出てから2時間ほど、時には2時間以上も休憩なしで歩くようになりました。道が平坦だと10キロくらいの距離です。午前中にカフェに入るとお馴染みの顔の人に会うことも多く、他の人も似たようなペースになっていくのでしょう。朝一番にこのペースで歩くと、カフェのコーヒーの後は比較的余裕をもって歩くことができました。
宿で夕食の用意がない場合はやはり自炊か周囲のレストラン、バー(バル)で食事をすることになります。巡礼宿の夕食は大体10ユーロ、外で食べてもそれぞれの店に10ユーロ前後で巡礼者用のメニューがあり、宿と似たような内容の料理が出ます。前菜、メイン共に3-4種類の中から選びます。一度、民営の宿に泊まった際、夕食のメインがパエリアでした。ダイニングルームには50人近くの巡礼者がいましたが、大きなパエリア用の平たいなべが運ばれ、食べ放題です。カミーノ上の一番のご馳走でした。メニューには飲み物も含まれ、水かワインを選びます。お酒が飲める人は当然ワインです。巡礼路はスペインの代表的ワインの産地、リオハ地方も通っていて、ローカルワインを安く飲めるのもカミーノ歩きの楽しみの一つです。バルでもグラスワインはコーヒー、ビールと同じような値段です。一時一緒に歩いたカナダ人の70代の男性は、「カナダでワインを飲むと添加物が入っているせいか頭痛がするけど、カミーノで飲むのは添加物のないローカルワインだから飲める」と夕食と一緒にワインを楽しんでいました。店で買ってもワイン1本がせいぜい4,5ユーロです。周囲の巡礼者で飲める口の人たちは呆れるくらいよく飲んでいました。

065.JPG9月のスペインははまだ陽射しが強く、暑さに弱い私は一度、登りを歩いている時に強い陽射しに耐えられなくなり、タオルを水に浸して首に巻いて歩いてしのぎました。以来、これはまずいと朝の出発時間を早くし、6時過ぎには歩き始め、午後1時頃には次の目的地に着くようにしました。6時台はまだ暗いのでヘッドランプが頼りです。なるべく他の人の後に付いて前を行くランプを追うように歩くのですが、私よりペースが速い人が多く、そのうちに見えなくなってしまいます。ランプの明るさでは道標を確認しながら歩くのにも時間がかかり、後方に誰も続いて来ない時には夜明けになるまで1人ドキドキしながら歩いたものです。でも、空を見上げれば星空が拡がり、月も毎朝眺めていると、満月から三日月へと形を変えているのがわかります。夜明けが近づくと星が消え始め、少しづつ周囲が明るくなり、太陽が昇るまでの早朝の一時は、一日で一番感動の時間でもありました。

080.JPGカミーノはサンチャゴまでの間にパンパローナ、ブルゴス、レオンの大きな町を通ります。こうした町では連泊して一日は休養、観光でのんびり過ごす人も多く、私も、ブルゴス、レオンでは一泊は巡礼宿で、もう一泊はホテルで過ごしました。巡礼宿では二段ベッドのマットレスに自分の寝袋を使って寝るのですが、プライバシーはないし、周囲のいびきに悩まされることも多いので、たまにホテルの清潔なシーツに包まれ静かな環境で一晩過ごすと、それだけで有難味も倍になります。大きな町にはどこもりっぱな大聖堂があり、観光客で賑わっていました。ツアーで来ている日本人観光客も見かけました。以前ならスペイン観光には入っていなかった地域です。巡礼路がテレビ番組や本などで知られてきたせいでしょうか。一度そんな団体の人たちに囲まれまたことがあります。「本当に6ユーロで泊まれるんですか」、「どこから歩いて来たんですか」、などの質問を受け、「頑張って歩いてくださいね」、と激励されました。年配の女性が多かったので、自分達とあまり歳が変わらない私の旅姿を見てびっくりしたのかもしれません。

127.JPG129.JPG私の巡礼の旅はサンチャゴの先のフェスティーラ(スペイン語で「地の果て」の意味です)で終ったのですが、道もう少し先の海岸沿いあるムシアという小さな町まで続いています。私はそこまで歩くには時間の余裕がなく、バスで行ったのですが、巡礼旅の最後の日を静かな海岸で過ごせたのは歩き疲れた体にはいい休養になりました。巡礼者の90%以上はサンチャゴで旅を終えるせいか、その先の海岸までのカミーノは人が少なくとても静かです。サンチャゴに到着した時は大聖堂の周囲は観光客で埋まっていたので、あまり達成感が沸かなかったのですが、フェスティーラに近づいて大西洋の海が見えた時は、ピレネーからここまで歩いてきた、という実感で感慨深いものがありました。

40日間歩いた後の感想は、カミーノ旅は歩く意志と自立心がある人なら誰でもできるのでは、ということです。クレデンシャルを受け取り、巡礼者という身分を与えられ、道標がしっかり付いた道に沿って歩けばいいのです。道も宿も食事も整っています。観光のようにどこへ行こうか、なんて迷うこともありません。カミーノを歩く人たちは仲間のようなもので、道中、嫌な思いをしたこともありませんでした。イギリスには住んでいても、あまり英語で会話をする機会はないのですが、カミーノを歩いていた時は自分でもびっくりするくらい物怖じせずに様々の国の人と会話をしました。一時一緒に歩いた日本人女性から、「スミ子さんって、どこかなと思うと必ず誰かと喋っているのよねえ」と言われたくらいです。道中、何度も顔を合わせる人が多く、同じ体験をしている「仲間意識」が気軽に話ができる環境を作っているのだと思います。巡礼者の中には、何回も同じ道を歩いている人、次は別な道を歩きたい、と言う人が何人もいました。カミーノの居心地のよさのせいではないでしょうか。人によって歩き方は様々ですが、重いリュックは背負いたくないから、と荷物を先送りしたり、あそこのセクション(大きな町に入る前の郊外など)は歩いてもおもしろくないからバスで行く、という人もいました。体力的に無理な人ならともかく、こういう巡礼者にはちょっと首をかしげたくなります。巡礼の旅が観光化している、とは旅の間何度か聞いたことでした。クリスチャンではない私は、少なくても、行き倒れた人も多かった昔の巡礼者の信仰の強さを偲び、恵まれた環境の中で歩かせてもらっているくらいの気持ちで歩くべきではないか、と個人的には思っています。巡礼路で忘れられないのは、早朝の暗い道を1人歩いていて、この道でいいのかな、という不安の中で道標を見つけた時の嬉しさです。おもわず、ありがとう、という言葉が出たものです。

一時一緒に歩いた40代の日本人女性、Mさんは二年前に突然ともいえる病気でご主人を亡くし、それ以来立ち直れないまま、三周忌を終えたので巡礼に来た、とのことでした。それでも、巡礼路で、よく歩き、食べ、飲んでいくようになった姿を傍からみていて、かなり回復したのではとの印象を持ちました。カミーノには人の心を癒す力があるのではないか、と私は思っています。
私が巡礼の旅で得たものは、まだ元気で歩ける、1人でも行動できる、という自信でしょうか。







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