BLOG

Enjoy a day out in the English Countryside

國子さんへの追悼

國子さんへの追悼

2025年4月25日

4月の初旬、東京にいた私に訃報が入りました。ステインクロスの長年の間リピーターだった國子さんが亡くなったとの知らせは娘さんからでした。とても残念です。國子さんは私とジョンにとって普通の常連さんの枠を超えて大事な友人でもあったのです。

ステインクロスを開業して3年ほど経った頃でしょうか。知り合いからうちのことを聞いた、とオックスフォードの語学学校に通っていた國子さんが初めて宿泊していきました。勤めていた小学校の校長職を定年退職後、すぐにイギリスの語学学校に通い始めたそうです。それ以来、ホームステイ先からの息抜きと称してオックスフォードから何度もチェルトナムに来てくれて、ジョンのレッスンも取ってくれました。レッスン中に書いたノートの内容をすべてを復習を兼ねて書き写す几帳面さにびっくりしたものです。

庭のスズランです。毎年、4月の後半に庭の片隅にひっそりと咲くので、忙しいとつい見逃してしまいます。

元校長職を感じさせない気さくな人柄でした。 イギリスでの滞在を終えて東京に帰った後も、娘さんと一緒に来てくれて、旅行中よく喧嘩します、と言いながらも、友達同士のように仲がいい様子に羨ましく思ったものです。他の年には、全員元小学校の校長職を勤めた女性3人を連れて来たときはちょっと緊張したものです。 ジョンが車で案内をしたのですが、後で、これまでで一番扱い難いグループだった、とこぼしていました。皆さん、職業上、周囲に指示をする立場にあったせいか、ガイド中のジョンの 指示には従わなかったそうなのです。

Ladys Smock(うわっぱり)という変わった名前の花。最近、コッツウォルズの川岸で初めて見た花です。

 

その後、國子さんは荒川区の60歳以上のシニアのためのシルバー大学で英語のクラスを担当するようになると、クラスの生徒さんを連れて来るようになりました。 それも毎年、6月と8月の二回です。 9-10日間ほど、ジョンの案内でコッツウォルズ観光と、2-3日泊の小旅行で、湖水地方、ウエールズ、スコットランドなどへ出かけました。國子さんは毎回一緒なので同じところに行くことも多かったのですが、何回行っても飽きないの、といつも楽しそうでした。それでも、私には、自分のためよりも、生徒さん達にイギリスを見せたい、楽しませたい、との思いの方が強かったイギリス旅行なのでは、との印象でした。 そんな國子さんは、厳しいながらも、生徒さん達からも、先生、先生、と慕われていました。東京では、英語クラスの他、読書クラスを受け持ち、自身としてはフルートのレッスン、写真の会であちこちに出かけ、スケジュール表が真っ黒になるくらい活動的な毎日だったようです。 イギリスから戻った翌日に、クラスの日帰り行事にも参加、一緒に旅行した年下の生徒さん達が、長旅で疲れているはずなのに、と呆れるほどのタフさでした 。毎年二回の旅行に、迎える私たちも回を重ねるごとに慣れてきて、日程と小旅行の行先を聞くだけで滞在中の手配をすべてして、旅程表を送り、到着日にはヒースローまでお迎えに行くほどの信頼関係ができていったのです。

2023年の6月の湖水地方への旅行。左から二人目が國子さんです。

旅行中は必ず生徒さん達と行動する國子さんが、去年の6月、初めて、風邪気味で体調が悪いと、部屋で休んでいたのです。 帰国後、生徒さんから、顔色が悪い、と指摘されてすぐに病院に行ったそうです。 その結果、すい臓がんとの診断で即入院となったことを聞いて、まさか、との思いでした。 その後の闘病中も、治療で何年も生きている人もいるから、と前向きの姿勢は変わりませんでした。 何年か前から学長も兼ねていたので、シルバーの新しいクラスのこと、好きな旅行の計画等について語っていました。 徐々に症状が悪化していく中でも、シルバー関係の、3月の年度末までのすべての行事に車椅子でかかさず出席し、最後は自宅で二人の娘さん家族に看取られて永眠されたそうです。

私は定年退職後の國子さんしか知りませんが、これほど積極的に、自分のやりたいことをすべて実行に移した人を他に知りません。入院するまでジョンのオンラインレッスンを受け続けて、ずっと英語にかかわっていた國子さん、ジョンと私の最後に送る言葉も英語です。

 

Thank you and Rest In Peace (R.I.P.)

國子さんが自身で選んだ素敵な樹木葬の墓石です。納骨は7月に入ってからだそうですが、この追悼文のために、娘さんの純子さんが写真を送ってくれました。