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Enjoy a day out in the English Countryside
アメリカの旅 - (2)
アメリカの旅の続きです。
2週間レンタルしたRVを返却したその足で別のレンターカー会社に行き、バンタイプの車を借りました。6人乗りの真ん中の座席をはずして折りたたみ式の板を置き、マットレスが付いた簡易キャンピングカーのようなものです。車もキャンプ用の備品もかなり古く、ちょっと心配したのですが、5週間、故障もせずに約1万5千キロ無事に走ってくれました。
同日にLAに到着した知り合いの女性二人を飛行場でピックアップ、まずはラスヴェガスに向かいました。私達は以前に何回か訪れているのですが、行く度にホテルの数が増え、町が拡がっていくようで、砂漠の真ん中のきらびやかな巨大なホテル群は異次元にさえ見えます。ラスヴェガスに一泊後は、6日間、4人でユタ州のザイオン、ブライス、アリゾナ州のグランドキャニオン国立公園をキャンプ場とモーテル利用で巡り、自然の景観を満喫、アリゾナの知り合いを訪問するという二人とセドナという不思議な町(“気”が集まるエーリアとして有名)で別れ、私たちの大陸横断の旅が始まりました。 左の写真はザイオンNPとブライスキャにオンNPです。
アメリカ横断というと、歌の題名にもある「ルート66」が有名です。昔、同名の人気テレビドラマがあり、このルートを東から西に向かって横断する人も多いとのことですが、私達は特にこのルートにはこだわらなかったのですが、途中、何箇所かで重なることもありました。10月中旬を過ぎていたので、北ルートは雪に降られる可能性があるので避け、南寄りの中部地帯を行くことにしました。アリゾナからニューメキシコ、コロラド、カンサス、ミズーリ、インデアナ、イリノイ、ヴァージニア州と続きます。基本は、2泊はキャンプ場、1泊はモーテルのパターンです。モーテルに泊まった時にテレビで天気予報をチェックしながら先のルートを決めていました。泊まる場所もアトラスの地図で、キャンプ場の印を見て行くので、季節柄、閉鎖になっているところもあり、逆に大きな町の近くで週末にぶつかった時はキャンプサイトが満杯のときもありました。用心深いジョンは、携帯で自分のクレジットカードの番号を知らせるのはあぶない、と宿泊の予約を一切しなかったので、正直、その日の寝場所を求めて必死になることも間々あったのです。
村上春樹が20数年前にアメリカ大陸を二週間かけて東側から横断した時の紀行文が載った本がたまたま家にあり、それを読んでいたので、この作家が感じた旅の印象にはなるほど、とうなずくこともあります。
「アメリカ内陸部の旅は食事と宿泊施設が救いがたく単調」、「走ってみなかったらこの国の大きさは実感できなかったろう」との感想には同感です。 彼は同行のカメラマンと2人で交代しながら一日の走行距離は平均500キロとのこと、私たちも似たようなペースでしたが、運転はジョン1人だったので、かなりきつい日もあったようです。距離をかせぐために、どうしてもインターステイツ(高速道路)になるのですが、これが単調な旅の源になります。
食事も高速出口に集中するファーストフッド、宿泊も似たようなモーテル。景色も州によっては同じような景観が延々と続きます。私たちは「単調な旅」になるのを避けるために、時間が許す限り、高速を降りて普通道路を走り、小さな町の食堂で食事をするように心がけました。普通道路といっても、大きな町のラッシュアワー以外は圧倒的に車の数は少ないし、道路も山岳地帯以外は直線が多いので、それほど時間のロスもないのです。どんな片田舎の道路もきれいに舗装、整備されていて、さすが車社会の国、と感心したものです。
帰国後、横断の旅で何が一番印象に残ったかを考えてみると、キャンプ場体験でしょうか。実にさまざまなキャンプ場(主に州立でした)にお世話になりました。地図を気をつけて見ると、それぞれの州に必ずと言っていいほど州立公園があります。地図を頼りに行き当たりばったりに訪れた公園は、砂丘、悠々と流れるミシシッピー川の河岸、山奥の湖畔、砂漠など、バラエティに富んでいて、ほとんどが水洗トイレ、お湯の出る水道の設備があり、シャワー付きのところも多く、どこもきちんと管理されていました。特に印象に残っているのはメキシコ国境から3キロ弱しか離れていない砂漠にあるキャンプ場です。国境の町エルパソから国境に沿って東に約60キロ、途中、ほとんど行きかう車のない静かな道路でしたが、国境警備隊の車だけは何台も目にしました。メキシコからの密入国者を取り締まるためです。
着いたキャンプ場は周囲にさえぎるものがない砂漠の中にあるので、キャンプサイトからは夕陽と朝日の両方が見え、夕方暗くなると、国境の灯とメキシコ側の町の灯が遠くに望めて、なかなかユニークな場所でした。シーズンオフだったせいか、どこも静かで、時間がある時には公園内の散歩道、トレイルをよく歩いたものです。時には風が強く寒くて、外での食事の支度がつらいこともありましたが、終ってみればそれも経験です。
とにかく公園の広さが半端ではないのです。何千エーカーもあるところもめずらしくなく、受付のある入口から車でキャンプ場にたどり着くまで何キロもあり、公園内には湖畔にロッジやゴルフ場あったりして、州の住民にとっては近場のリゾート地になっています。昼間の利用は5ドルから10ドル、キャンプ場は一泊10-20ドルと、公園の規模や州によって使用料金が違っていました。 昼間、ドライブしている間も運動不足解消もあり、高速の近くに公園らしきものがあれば、1-2時間、散歩したり、カフェがあればランチもして、と大いに利用させてもらいました。 上の写真二枚はとても感じがよかったミズーリ州のダイナー、下の写真は印象に残った砂丘の中と山の中のキャンプ場です。
国立公園巡り以外の今回の旅の目的は、東側にあるアパラチアントレイル(AT)をもう一度訪れることでした。29年前に南部のジョージア州からカナダ国境のあるメイン州まで続くATを5ヶ月半かけて歩いた私たちにとっては忘れられないトレイルです。LAから飛行機利用という方法もあったのですが、ジョンの「ドライブで大陸横断チャレンジ!」の言葉で決まりでした。シェナンドーNP内のATが通る何箇所かを歩き、なつかしいシェルター(簡易山小屋)を訪れて、二人共若かったね、と歩いた当時を偲びました。 AT沿いにある北カロライナ州の小さな村にも寄ったのですが、トレンデイなリゾート地に変わっていて、様変わりした通りを歩きながら、時の流れを感じたものです。私たちが泊まったエルマーズインという、元々は19世紀初期に別荘として建てられた館は、現在は州の保存家屋に指定されているそうですが、今も70代になるエルマーが頑張ってハイカーを中心にお客を受け入れていました。お歳のせいか、どうも広い館の内部まではあまり手が回らないらしく、以前も古かったものが今は古色蒼然、といった風情でした。家具のほとんどはエルマーがお婆さんから譲られたものだそうで、ちょっとした博物館のようで、ベッドカバーは昔風のパッチワークでできていました。
内陸部の小さな町を通って気がついたのは、ヨーロッパと違って、町の中心部にあるのは教会ではなく裁判所の建物なのです。一般にアメリカ人は信心深く、それでは教会はどこに、となるのですが、プロテスタントの宗派にはバプティスト、メソジストなどの様々な派があり、それぞれが自分たちの小規模な教会も持っているのです。人口が少ない割りには通りに沿って長く広がった街中を気をつけてみていると、大きさが普通の家屋と変わらない教会が目に入ってきます。
小さめの町でも、4つも5つも教会があるのです。町の広さといえば テキサスは何でも大きい、とは他の州のアメリカ人から聞いていたのですが、テキサス南部の都市、人口が2百万人を少し越える程度のヒューストンですが、環状道路が4つもあり、端から端まで抜けるのに1時間以上もかかりました。これって自然の搾取的使用だね、と島国の私達はあきれたものです。
もう一つ旅をしていて気がついたのは、町の空洞化です。日本でもよく「シャッター通り」の言葉を耳にしますが、アメリカの場合それがもっと顕著に感じられました。日常生活品はほとんど郊外のショッピングモールのスーパーや店に集中して、街の中心部は閉まっている店も多く、インテリア商品、洋服店とかの店がポツポツあるだけの、閑散とした町に幾つも出会いました。レストラン、カフェの類さえない町もあります。モールのスーパーや店はチェーン店がほとんどなので、個人商店は太刀打ちできないのでしょう。住民にとって選択の余地がない、競合店のないチェーンスーパーは食料品の価格が高いのです。旅の始めの頃はイギリスと比較してはびっくりしたものです。カリフォルニアではアーモンドや柑橘類の畑が延々と続く中を走ったのですが、日本のような、生産地ならでの直売店らしいものは見当たらず、野菜の大生産地帯でも、スーパー内の野菜はイギリスよりも高く、種類も限られているのは一体どういう仕組みになっているのでしょうか。
NYのような大都市では近郊からの新鮮な食料品が届くマーケットがあるのに、田舎では地元産を売る店そのものが存在しないのではと思われます。逆に、今回の旅行中、至るところで見かけたのが日本の百円ショップに相当する「ダラーショップ」です。10年前には見なかった類の店です。加工食品と日用品が置いてあるので、低所得者層にはありがたいでしょうが、なんだか、庶民の基本生活が、限られた大企業にコントロールされているような印象さえ持ちました。そんな訳で、以前旅した時によく見かけた地元の人が集まる食堂、「ダイナー」の数も減っていました。定番のミートローフとマッシュポテトはそれほどおいしくはないのですが、いかにも昔風のアメリカ料理で、私にとってはなつかしく、楽しみにしていたのですが、今回はごくたまにしかお目にかかれず残念でした。
旅行中、ほとんど毎日移動していましたが、たまに観光、休養のため二泊したところもあります。ニューメキシコ州のサンタフェとルイジアナ州のニューオリーンズでは二泊して一日を観光に充てました。サンタフェは昔から交易の要所で、メキシコと国内各地を結ぶサンタフェトレイルで有名です。節約のため、両方の町とも、高速出口近くの安いモーテルに泊まり、市営のバスで中心地を往復したのですが、両方の町ともバスの利用者は車を持たないメキシコ人、黒人がほとんどで、アメリカの格差社会を覗いた思いでした。サンタフェの中心地の昔風の土壁で造られた、趣のある建物は、博物館、教会、何軒もの美術/工芸店で成っていて、カフェ以外は日常生活の匂いがまったく感じられない観光の町でした。規模こそ違え、ジャズとジャンバラヤで知られるニューオリーンズのフレンチクォーターも世界中から人が集まる一大観光地です。私も以前からあこがれていたニューオリーンズ観光を楽しみにしていました。ミシシッピー川を行きかうボートを眺め、古い街並みを歩き、ジャンバラャを食べ、ビールを飲みながらジャズの演奏を聴いて、と一日を楽しんだ次第です。
今回のアメリカの旅は、観光だけではなく、自然も含めて、あらためてアメリカという国の多様さを感じさせてくれました。ひとえにジョンのおかげです。彼なくてはできない旅でした。運転のできない私はナビ役でしたが、走ったのはほとんどが田舎道か高速道路、ジョンがハンドルを握っている間、私はほとんどの時間を横で外の景色を眺めながら過ごしていました。行く先々での交渉もジョンがやっていたので、時々、何もできない自分に歯がゆさを感じたものです。考えてみれば、ここ何年か、一緒に旅行する時は、計画、手配等はほとんどジョンにまかせきりです。以前の2人旅の経験から、私が意見を主張すると言い合いになることが多く、旅の最中に気まずくなるのが嫌なのも口出しをしない理由です。今回、自分で計画、手配する旅の手ごたえはありませんでしたが、ジョンが運転中、横の座っていた私は退屈したことは一度もありませんでした。これから向かう先がどんなところか、という未知な場所へのあこがれが私の中にあるのだと思います。この「好奇心」がある限り、一人旅も2人旅もまだまだ続けられるかな、と思っています。